2Dトータルクリエイター、kei-onoderaのウェブログ
www.flickr.com
kei.onodera's items Go to kei.onodera's photostream

2010年03月15日

J.K.ユイスマンス「彼方」にあるものは…

昨日で節目の年齢になっちゃった。もう「ボク」とか言えないなぁ。あ〜あ。まあ最近は言ってないけど。

labas.jpg

んで、今読んでるのがJ.K.ユイスマンスの「彼方 (創元推理文庫)」。

大学時代に図書館で「さかしま」や「大伽藍」などを借りて、もう興奮しちゃって、何度も読みたいから「さかしま」は新たに買い直したくらい、ユイスマンスは大好きなんだけれども、なかなか書店で他のタイトルが見つからなく、しょうがないから何年越しかでやっとAmazonで購入。何故か「創元推理文庫」で出てるのが謎だけど。
バタイユもマンディアルグもリラダンも好きだけど、「彼方」を読みながら再確認したけれど、ユイスマンスは私にとって、さらに重要な作家になった。
なんでこんなに興奮するのか考えてみた。

「さかしま」を読んでいる最中もそうだったけれど、時代も地理も文化も、自分とは全く異なるこの作家の言っていること、世界の認識であったり、関わり方であったり、疑問に思ったりするあれこれが、何の違和感も無く、分かりすぎるくらいに自然と理解できる(少なくともできてると思っている)のだ。
理解のできる範囲の作家だから良い、という意味ではなく、自分と同じように考える人物が、こんなに知性的で洗練され、さらに恥ずかしげも無く自らをさらけ出し、このような芸術を実現させていることに感動し、希望を与えられるのだ。
自分は周囲に合わせて変わらなくて良いんだ、ただ技術を高めれば、この境地にたどり着けるんだ、と思わせてくれる。
それほど、彼の作家的なプライオリティーには共感できるし、素晴らしいと思う。

ところで「彼方」は、ジャンヌ・ダルクの部下として騎士団を指揮しながら、後年は夥しい数の幼児拷問殺害の罪を犯した貴族、ジル・ド・レエの伝記を執筆しようとする男の物語だ。
男は、何故レエがそのような蛮行に及んだのかを考えるのだが、なかなか答えが見つからない。
それは、その犯行があまりにも悪魔的で残忍すぎるからだ。
そこで登場する概念が、「彼方」なのだ。
つまり、ユイスマンスが執筆していた当時の、多くの殺害事件を含めて、このような非人間的に思えるような行為は、もはや人格形成や貧富の問題からきているのではなく、「彼方」からもたらされているという考えだ。

読んでいて、ふと思ったのだが、このような凄惨な事件というのは、もちろん我々の時代もあって、その都度メディアが「過去に例を見ない犯行」という末世感を強調している。
昔もこんな事件はあったんじゃん。…っていうか、昔のほうが異常性のスケールがでかいよ。
日本においても、殺人事件を含めて、犯罪率は年々減少傾向にあると聞く。
ということは、この種の残忍さというのは、人間という生物の原初に辿れば辿っていくほどに顕著になっていくのではないのだろうか。
そして、現在の「人が人を殺さなくなっている」という事実は、「人が人間性を取り戻しているから」ではなく、「人が本来の人間性を喪失してしまっている」結果なのではないだろうか。
もしそうだとすれば、事態は多くの人々が信じ込まされてしまっている概念とは大分遊離しているということになる。

人は、今では「人間的」とされている「社会性」の彼岸へ、船を進めている。
そして、我々が恐怖すべき悪魔のような「人間性」は、ユイスマンスの時代より、少しだけ「彼方」でこちらを見つめている気がする。

  


posted by kei-onodera at 03:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 書籍 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。