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2009年12月16日

黄色い本と白い本と赤い本

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フランスの幻想文学が好きな私は、先日古本屋で、前から読みたかったマンディアルグの最初の長編小説、「オートバイ」を見つけて小躍りした。
そのついでに「チボー家の人々」5巻セットを見つけて、高野文子氏の漫画、「黄色い本」のことを思い出した。
「チボー家の人々」を読んでいない(長いし!)から、その印象しかないだけなんだけど。

「黄色い本」は、田舎のセンシティヴな女子学生が、図書館にあった「チボー家の人々」に耽溺しているような日常のおりおりを、丹念に描いた物語だ。
物語の中の彼女は、「チボー家の人々」の登場人物、ジャック・チボーと、夢の中で友達になる。
しかし、高校を卒業し、メリヤス工場に就職するときに、決別を決意させられることになる。まるで、プーさんとクリストファー・ロビンのように。

多くの人々は、学校を卒業するタイミングで、ある程度自分の夢に折り合いをつけて、現実を生きていく。
でも、本当にそれでいいのか。いつまでも夢を持ち続け、夢の中に生きることは罪悪なのか。
ビジュアル的には比較的地味だけれど、せつなさと希望を描いた、「黄色い本」は、静かな感動作として、高野文子氏のなかでも傑作のひとつと言えると思う。
「チボー家の人々」を「黄色い本」と呼ぶセンスも素敵。

ところで、古本屋で見つけた白水社のハードカバー、「チボー家の人々」の背表紙を見ると、本当に黄色かった。
しかし、同じ白水社のハードカバーでも、横に並んだ、もう少し古いものになると、白い色だった。
だから、実際に高野文子氏が「チボー家の人々」を図書館で読んでいたときのバージョンは、黄色い頃のものだったのだなぁ、と思うと、なんとなく感慨深い気がした。

ちなみに、現在の新しい白水Uブックスの「チボー家の人々」のカバーは、赤かった。
まあ、赤もいいじゃないか。





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2009年12月13日

極めて残酷すぎる競技、「30人31脚」

「女教師ブログ」なるブログの、「クラス対抗30人31脚を即刻廃止すべきである6つの理由」というエントリーが、盛り上がっていた。
私はこの方のことを良く存じ上げないこともあり、その「理由」の正当性を云々しづらいのだけれども、個人的に考えさせられるところが多かった。

私は小学生時代、その競技があった世代ではないのでよく知らなかったのだが、テレビ局が主催する「30人31脚」なる競技に参加するには、クラスひとりひとりの同意書が必要になるらしい。
全国的なクラスの平均人数が、大体30人程であるから、ほぼ全員が同意書にサインしていることになるのだ。
実際、同意したくないのに、無理矢理に同意させられてる児童もいることだろう。
何故なら、同意書が29枚以下しか集まらなければ、大会にエントリーできないため、無言、または有言の圧力があるからだ。

「やりたくないことでもやらなくてはいけないのが社会なんだ!それをも教育の一環だ!」という類のコメントが、「女教師ブログ」当該エントリーに多く寄せられているようだが、とんでもない意見だと思う。
何故なら、一部の児童にとって、「30人31脚」ほど精神的に追い詰められるようなストレスは、大人になって社会に出たとしても、感じることなどおそらく無いぐらいに、過酷だろうからだ。

平均よりだいぶ脚の遅い児童が、クラスに数人はいるはずだ。
その児童らと、脚の速い児童らが、横一列に並び、走る。
どんなに脚の速い児童がいたとしても、全体の速度は、一番脚の遅い児童のタイムに近づくことになるだろうし、悪くすれば転倒の危険さえある。
最悪なのは、タイムの遅延、失敗の原因の多くが、一番脚の遅い児童によって引き起こされることが、明らかになってしまうことだ。
その結果、ひとり、ないしは数人の児童が、クラス全員から白眼視される原因になる危険性が大きくなる。

徒競走や二人三脚、サッカーやバスケット・ボールなどでは、そのリスクは、もちろんだいぶ低くなる。
例えばサッカーでは、苦手な生徒はあまり走らなくても良いし、ボールタッチ数も最小で良いので、ゲーム自体に大きく関わる必要は無く、精神的な重圧は小さく、比較的さわやかだ。
実際の社会っていうのは、むしろそういうものだ。
得意な人間が多く動けばいいし、技術の無い人間はそれなりの動きで良い。
資本主義社会では、それなりの動きでは所得が限られてしまうが、「それはしょうがない」と、一応納得もできる。
第一、実社会では、「自分に合った仕事を見つける」自由がある。
やりたくないことでも、それは自分が選び取った仕事なので、耐えることもできる。

「30人31脚」を強制され、しかもそれを「同意」という形に、不本意にも変えられ、全体練習で毎回のように屈辱を味わわされ、プライドがズタズタにされる。これは、精神的公開処刑だよ。
その児童は、そのような理不尽な時間を耐え抜くか、不登校になるか、そのどちらかしか選択することが出来ないだろう。
地獄か、または学生としての社会的なドロップ・アウトか。
もし耐え抜くことが出来たとして、何故このような試練を、脚の遅い児童のみが経験しなければならないのか。
人格形成の面で、悪い影響の方が多く出てしまうだろうと思われる。

運が良ければ、また教師の指導が適切であれば、このような事態は防ぐことができるかもしれないが、実際に上記のような児童は間違いなく存在しているはずだ。
この一点においてだけでも、「30人31脚」を中止できる理由にはなると思う。

この競技について、そのような構造的問題を気づくことができないのは、想像力が著しく欠如している人間だろうし、気づいていてそのまま看過できる人間は、あまりに冷酷のように思える。

ラベル:30人31脚
posted by kei-onodera at 08:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月05日

2010南アW杯グループ・リーグ組み合わせ抽選結果メモ

2010南アW杯のグループ・リーグ組み合わせ抽選が終ったね。
自分用に、結果をメモしときます。

A 南アフリカ メキシコ ウルグアイ フランス
B アルゼンチン ナイジェリア 韓国 ギリシャ
C イングランド 米国 アルジェリア スロベニア
D ドイツ オーストラリア セルビア ガーナ
E オランダ デンマーク 日本 カメルーン
F イタリア パラグアイ ニュージーランド スロバキア
G ブラジル 北朝鮮 コートジボワール ポルトガル
H スペイン スイス ホンジュラス チリ


日本の入ったEグループ、確かに比較的厳しくはあるけど、韓国、北朝鮮らのグループに比べたらまだいいよね。
あと、強国がばらけて、目立った「死のグループ」も無いみたい。強いて言えばやっぱりGB、またはAがキツいかなー。
イングランドとイタリアはラッキー。カペッロはさすが強いな。
グループ・リーグで番狂わせが起こりにくい…でもトーナメントのレベルが高い感じのW杯になりそう。
posted by kei-onodera at 12:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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